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きかんしゃトーマス シーズン毎制作史(きかんしゃトーマス シーズンごとせいさくし)ではレブランド・ウィルバート・オードリー(原作1~26巻)と息子のクリスード・クリストファー・オードリー(原作27巻~)が作り上げた、イギリスの架空の島ソドー島を舞台に、そこの鉄道網で活躍する機関車や自動車などとそれに関わる人々を描いた絵本『汽車のえほん』と、その映像化作品『きかんしゃトーマス』の制作事情、および関連作品についてを掲載している。 以下制作・公開の年は、特記(日本では…など)なきものはイギリスでのもの。 == 第1シーズン(英国版:1984年 / 日本版:1990年) == 本作以前にも1953年にBBCで鉄道模型を使用した映像化が試みられたが、1話を放送しただけで打切られた。また1973年にはミュージカル仕立てのアニメシリーズ化の計画があったが、計画だけで終わった。 1980年頃、原作の版権を持っていた出版社の勝手な都合から、たった5万ポンドでトーマスのテレビ放映権が売却された。買ったのは、この権利購入のために設立されたイギリスのTV番組制作会社ブリット・オールクロフト社(後にガレイン(トーマス)社に社名変更・原作の全ての権利を完全に手中にするには1998年4月28日までかかった)だった。購入以前から、社長で番組制作者のブリット・オールクロフトは幼い頃慣れ親しんだ「汽車のえほん」の作者のオードリー牧師と、鉄道に関するドキュメンタリー番組を通じて知り合い、それがきっかけで「汽車のえほん」の映像化を目論見、オードリー牧師を説得して映像化の了承を得ていた。当初、原作者のオードリー牧師とブリット・オールクロフトとの関係は良好だったようで、オードリー牧師は権利の売却後でも原作の続き(当時26巻まで出版済み)をちょうど息子のクリストファーが彼の息子(牧師の孫)のために新ストーリーを暖めていたのを執筆・出版させ、映像化で多数必要になる原作を用意し始めた。 テレビシリーズ化は、鉄道模型の愛好家でもあったオードリー牧師の意見を聞いて、過去に企画されたセルアニメによらないで、模型を使用した人形劇映像をブリット・オールクロフトが採用した。実際の撮影は、CMなどの特撮を請け負っていたクリアウォーター特撮会社が担当した。クリアウォーター特撮会社の共同経営者の一人で監督のデヴィッド・ミットンらにより考案された、メルクリン社製の1番ゲージ鉄道模型を原型を留めないまでに改造した上、目の動きと発煙装置を無線操作するギミックを内蔵して作成した機関車キャラクターのミニチュアを遠隔操作で動かしながら、シーンに応じて何種類かの顔のマスクを交換して、普通に動画撮影するスタイルによる映像化撮影が始まった。デヴィッド・ミットンはクリアウォーター社の前は長年ジェリー・アンダーソンのプロダクションにおいてデレク・メディングス特殊効果監督の下で仕事をしていて、この手の撮影を得意としていた。ナレーションは、ブリット・オールクロフトが元ビートルズのリンゴ・スターを口説き落として、番組の話題づくりに使用した。1シーズンは、2クール26話で制作。1話あたりの放送時間は第7シーズンまでは本編正味5分ではじまった。シーズンの間にはブランクもあり、再放送でつないでいる。放映が始まると番組は大人気となり、教育者や評論家の評判も良く数々の賞を受けた。 アメリカでは1989年、日本では1990年から放送が始まり、日本では「ひらけ!ポンキッキ」にて放送がスタートした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「きかんしゃトーマス シーズン毎制作史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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